青森県南・太平洋側、南部地方につたわる刺し子の技法のひとつ。
「庄内刺し子」「津軽こぎん刺し」「南部菱刺し」は日本三大刺し子と呼ばれています。寒冷な土地柄、自家生産の麻布一枚では寒さを凌ぐのは難しく、その麻布に木綿の裏地をつけて麻糸で刺し綴ったものが菱刺しの原型だといわれています。最初は単純な刺し子模様だったものが次第に美しい菱模様を形成していく様になるまでの変遷はよくわかっていないのが事実です。そして「菱刺し」という名称がいつから使われるようになったかは定かでないが、ただ、技法自体は、今から250年ほど前には既にあったのは確かなようです。
江戸時代後期から発生されたと思われている菱刺しの最盛期は明治時代。やがて鉄道の開通によって交通・流通の発達により、糸や布も各地から入ってくるようになると、それまで浅葱色に染められた麻布に白や黒の糸で刺されていた模様が、様々な色の糸で刺されるようになり、模様も華やかになりました。色だけではなく毛糸で刺したものなども出てきて、女性たちは新しい模様を考え出し、腕を競っていたこと思われます。
やがて、近代化が進み、機を織ることもなくなり、昭和に入ると一気に菱刺しをする人は減少します。民藝運動の柳宗悦氏に高く評価されつつも、技術後継者は減る一方となりました。
1960年代後半より、青森県在住の民俗学者・民俗民具研究科である田中忠三郎氏が、収集・研究したコレクションは有名で、そのコレクションが寺山修司監督や黒澤明監督の映画にも使われることで、ようやく改めて「南部菱刺し」の技術・デザインが見直されるようんなりました。それでも、南部菱刺しの技術後継者はもちろん、菱刺しを知る人もなかなか増えないのが現状です。